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事実は伝えられた瞬間、相手のものになる——コントリが発信で曲げないと決めていること
朝の勉強会の帰り際に、言われたこと
先日、朝の経営者の勉強会が終わったあと、片づけの手を止めて、顔なじみの方に声をかけられた。「離婚経験者同士でシェア会をやろうかと思うんだけど、どう?」と。
僕は独立する前に、離婚を経験している。誘ってもらえたこと自体は、単純にありがたかった。その会は、経営の話だけでなく、こういう個人的な部分まで踏み込んで声をかけ合える関係が続いている。だから正直に答えた。「今、幸せなんですよね」と。
その方の顔が、少し曇った。「それ、私をバカにしてるみたいじゃない?」
「伝える」を仕事にしていても、言葉は思い通りにならない
コントリは、経営者の想いを言葉にして届ける仕事をしている。これまで100社を超える経営者に話を聞いてきた。伝わる発信を、どこよりも考えてきたつもりだった。
それなのに、今朝の数十秒間、僕はまともに言葉を返せなかった。「いや、そういうつもりじゃなくて」と繰り返すほど、言い訳がましく響いていく。発信のプロを名乗っておきながら、目の前のひとりに、事実をどう置けばいいのか分からなくなった。
普段の仕事なら、企業の言葉をどう届けるかを、何日もかけて設計する。見出しの一語、写真の一枚まで考え抜く。それなのに、目の前の生身の相手に対しては、その考え抜く時間がゼロだった。準備なしで発した事実が、思ってもみない受け取られ方をする。当たり前のことなのに、僕はそれをすっかり忘れていた。
これは、格好悪い話として正直に書いておきたい。伝える仕事を何年やっても、伝え方に迷う瞬間はなくならない。むしろ、プロだと自分で思っている分だけ、油断していたんだと思う。100社を超える経営者と向き合ってきた経験は、目の前のひとりを傷つけないことを、保証してはくれなかった。
受け手の解釈は、送り手のものではない
帰り道、ずっと考えていた。
「今、幸せです」
同じ事実でも、受け取り方は相手の数だけ生まれる
僕が渡したのは、「今、幸せだ」という事実、それだけだった。それをどう受け取るかは、その方の経験や、そのときの心の状態や、その場の空気が決めていた。どれだけ丁寧に言葉を選んでも、受け取られ方は僕の管理下にはない。
これは個人の会話に限った話ではない。コントリが記事として届ける経営者の言葉も、同じ構造を持っている。取材で聞いた事実を、こちらがどれだけ誠実にまとめても、読んだ人がそれをどう解釈するかは、記事を出した瞬間から書き手の手を離れる。真面目に発信している会社の記事を「宣伝っぽい」と感じる読者もいれば、率直な言葉を「素っ気ない」と受け取る読者もいる。発信設計を突き詰めても、受け手の解釈そのものまでは設計できない。
2023年4月にコントリを立ち上げてから、この事実には何度も向き合ってきた。想いを込めて作った記事ほど、思い入れが強い分、受け取られ方への期待も膨らむ。でも期待通りに受け取ってもらえるかどうかは、こちらの熱量とは、別の話だった。
だから、コントリは事実を曲げずに届け続ける
だとしたら、コントリにできることは、事実を曲げずに置き続けることだけだと思っている。

経営者インタビューを無料で続けているのも、企業の言葉を、こちらの都合で加工せずに届けたいからだ。数字を丸めない。エピソードを盛らない。100社を超える取材のなかで、これは崩したことがない基準だと思う。
- 誇張しない
- ぼかさない
- 相手の言葉を、こちらの都合で編集しない
記事を公開する前には、必ず取材先本人に読んでもらう。直す部分があるとしたら「もっと良く見せてほしい」ではなく、「事実として間違っている箇所はないか」だけを確認してもらう。感想の良し悪しまでは、こちらから求めない。読み手側の受け取り方に手を加えるのは、越権だと思っているからだ。
出会いの質を高めるという言い方をよくするけれど、その中身は、事実を正確に、本質を丁寧に運ぶという地味な作業の積み重ねでしかない。派手な演出は、そこにはあまり必要ない。継続していくうちに、少しずつ信頼が積み上がっていく類のものだと思う。
読み手がどう感じるかまでは、こちらでは決められない。それでも、届けた事実そのものへの信頼が、いつか出会いの質になって返ってくると、僕は思っている。
担当者が変わっても、曲げない基準だけは残す
ハッシンラボやAIライティングトレーニングで中小企業の発信を支援するときも、伝えていることは同じだ。担当者が変わっても、会社としての発信は止めたくない。だから型やテンプレートを渡すのだけれど、そこで一番大事にしてほしいのは、文章のうまさより先に、事実を盛らない・削らない・薄めないという基準のほうだ。
担当者は変わっても、事実の置き方だけは変えない
文章は磨ける。表現は工夫できる。でも、書き手の代替わりのたびに事実の扱いまでぶれてしまうと、読み手はどこかで違和感に気づく。継続できる発信というのは、更新頻度の話である前に、事実の置き方が一貫しているかどうかの話なんだと思う。
発信の技術より先に、器がいる
今回、はっきり分かったことがある。発信設計の技術がどれだけ磨かれても、受け手の状況への想像力がなければ、言葉は簡単にすれ違う。
その方が今どんな痛みと向き合っているのか、僕には本当のところは分からない。分からないことを分かったふりをせず、それでも自分の事実は曲げない。この二つを両立させる器の大きさが、発信の技術より先に要るんだと思う。
コントリとして経営者の言葉を届けるときも、根っこは同じだ。取材先の想いをどれだけ正確に届けても、読み手のなかにある事情までは想像しきれない。それでも、想像しようとする姿勢だけは、手放したくない。
事実は曲げない。でも、その事実を誰に、どう届けるかには、まだ工夫の余地がある。今日の一件は、そのことを教えてくれた。
その想い、眠らせて
おくには惜しい。
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